Jun 29, 2011

誰のコールセンター

コー​​ルセンターの業務といえば、女性の仕事というイメージがありますが、コールセンターの業務は、男性と世代を問わず仕事をする職場が多くあります。長期の仕事で短期の仕事の経験がなくてもすることもできます。一日二日の単発の仕事は特に楽にできるかもしれません。特に、マニュアル通りにすることなどは経験がない方にもお勧めします。
最近、在宅ワークを見ていると、"在宅秘書"などの文字が目に付くが在宅で電話代行をすることだ。どんなものか、ちょっと興味を持っているが、まだ確認されていません。どの会社のどのような電話代行をしているのだろうか。また、一日に数回電話が拘束時間はどれくらいになるのだ。また、それに対する対価は、ある程度のだろうか。
 暖かい南風が吹き込んだ影響で、県内各地は7日、朝から気温が上がり7月上旬〜下旬並みの陽気となった。青森地方気象台によると、三戸では30・5度を観測し、今年初の真夏日(最高気温30度以上)となった。
 気象庁の観測によると、弘前29・3度▽碇ケ関29・0度▽黒石28・8度▽五所川原27・2度−−など夏日(同25度以上)となったところも多かった。
 8日は上空に寒気が入り、にわか雨が降りやすい不安定な天候となる見込み。気温も20度代前半と平年並みになるという。【高橋真志】

6月8日朝刊

【関連記事】
真夏日:名古屋と岐阜 子供たち水遊びに歓声
真夏日:暑さじわり…福島で30.3度
真夏日:東海で今年初 伊賀で30.4度
東日本大震災:暑さ、じわり 福島で真夏日
真夏日:暑いナラ、なめるシカない 西日本各地で記録


 福島第1原発事故を受け、県は7日、県内の原子力施設の安全性を検証する原子力安全対策検証委員会を発足させた。
 初会合には、委員13人のうち9人が出席。三村申吾知事から委嘱状を手渡された後、互選で委員長に田中知・東京大教授を選出。その後、日本原燃再処理工場(六ケ所村)やリサイクル燃料貯蔵の中間貯蔵施設(むつ市)を現地調査した。
 再処理工場では、中央制御室や使用済み核燃料貯蔵プール、非常用電源車などを視察。視察後の質疑で委員から「(工場内の)電源が使えなくなった際、電源車や消防ポンプを使う場合はどのくらいの時間で準備する必要があるのか」「地震などの緊急時に対応できる人数はどのくらいいるのか」などの質問があった。
 質疑後、田中委員長は報道陣の取材に「地域との関係性などを踏まえながら検証することで国の検証との違いを出したい」と強調。検証の結論を出す時期は「まだ言える状況ではない」と話した。
 8日はJパワー(電源開発)大間原発(大間町)や東北電力東通原発(東通村)、東京電力東通原発(同)を現地調査する。【山本佳孝、神崎修一】

6月8日朝刊

【関連記事】
岡田幹事長:東通原発1号機「再稼働させる」
ほっとするニュース:反核ロックが原発事故で関心 フェス参加者、昨年の4倍−−大間で
青森・東通原発:1号機「再稼働させる」 安全確保条件に−−岡田幹事長
反核ロック:原発事故で関心 フェス参加者、昨年の4倍−−大間で /青森
暮らしどこへ:’11知事選/1 関心高まる原子力政策 /青森


 京都府向日市寺戸町の旧家・富永屋の建物の一角で、現在は空き店舗のシャッターに絵が新たに描かれ、近隣の商店や買い物客、通学で前を通る児童生徒らの目を引いている。
 デザインを手掛けたのは京都市北区のアート作家、水口菜津子さん(30)。同市立芸術大で学生や院生の時代に、西京区の大枝・大原野地区の魅力をアートを通じ発信する企画に携わるなど、精力的に活動している。
 富永屋の保存活用を目指す「富永屋の会・グループとみじん」が、長期間放置され、さびたシャッターを塗り替えることに。「絵を描いたら、より明るい雰囲気になるのでは」と水口さんに依頼した。作業にはメンバーも加わっている。
 絵は、2匹の竜と、2本の松の木を配したデザイン。昭和初期に撮影され今も残る富永屋の写真に、枝が波打つように広がる松の木が写っており、「それを見てイメージした」と水口さん。5月の連休から描き始め、現在、仕上げの段階に。
 作業中、買い物客が足を止めて眺めたり、児童からよく声が掛かるという。水口さんは「竜に名前を付ける、と子どもたちは言ってくれる」と喜ぶ。また近隣の商店から「うちの店のシャッターにも描いてほしい」と依頼されたと、とみじんのメンバーも思わぬ効果に驚き「富永屋の保存や、商店街の活性化につながれば」と話す。
 26日の完成披露式で竜に目を入れて最終の完成。式後は水口さんの講演会や、昭和初期の西国街道の町並みの映写なども予定。午後2時から。式を除き、有料。問い合わせは、とみじんの寺崎さんTEL075(931)4272。

 峠を一つ隔てただけで、全く異なって見える田園風景。5月末、全村避難を求められた飯舘村に通い、水の張られていない広大な田んぼを目にするたび胸が痛んだ。
 昨年5月、私は当時の勤務地、山口県周南市の中山間地域で米作りを始めた。標高350メートルにすり鉢状の棚田が広がる中須北地区で、田んぼ1畝(せ)(約100平方メートル)分のオーナーになり、12月まで地域面にルポを連載した。飯舘村を訪れたこの時期は、田んぼの水を漏らさぬよう泥で塗り固める「あぜ塗り」から田植え、草取りと泥だらけで汗だくになっていたのを思い出す。
 「今ごろは田植えを終えた『手休め』と言ってね、学校で運動会をしてにぎやかなのにねえ」。取材に来た報道関係者がよく立ち寄った飯樋(いいとい)小前のうどん店「ゑびす庵」を切り盛りする高橋ちよ子さん(62)は伏し目がちにつぶやいた。原発事故がなかったら、村のあちこちを軽トラックがせわしなく行き来しただろう。あぜ道でのんびりおしゃべりをする農家の人々を見かけただろう。夜になればカエルの鳴き声ももっと大きかったはずだ。「隣の川俣町の方に下りて行って、水の張られた田んぼを見ると、ホッと落ち着くのよねえ」。高橋さんはうらやましそうに言った。
 周南市中須北は、長年の地域活性化の取り組みが認められ、棚田保全のモデルとして知られるようになった。そこでお世話になった人たちの顔が、「美しい村」づくりに取り組んでいた飯舘村の人々と重なって切ない。村の風景を取り戻してほしい。そう願わずにはいられない。(西部報道部)

6月8日朝刊

【関連記事】
飯舘村:家族同然の牛とお別れ…休業の酪農家 福島
東日本大震災:南相馬の農家が京都で農業研修
東日本大震災:中国人実習生次々帰国 農家、収穫に不安も
東日本大震災:被災者にモヤシの豆を無料郵送 深谷の農家
放射性物質:農畜産物出荷制限一部解除 農家から不安も


Posted at 04:29 in Card | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.